散歩道


武蔵野八幡宮

マップ 戻る
武蔵野八幡宮

 寛文元年(1661)、小石川の吉祥寺火事による門前住民の移住に伴い、村の総鎮守として開かれて以来、三百四十年にわたってこの地を見守ってきた。 八幡様以外に、拝殿右手前の境内社に三島・出雲・大島・厳島・稲荷・須賀・疱瘡の七社が祭られている。

 何故か境内にJA東京グループ農業協同組合法施行50周年記念事業として「吉祥寺ウド」の案内板が立っている。今では住宅街で、昔のウドの生産地の面影もない。

マップ 戻る
吉祥寺ウド
 武蔵野八幡宮周辺は旧武州多摩群吉祥寺村として、江戸時代より畑作農業が盛んな所であった。五日市街道に面していたので江戸との交流も多く、野菜や薪(まき)の供給地でもあった。ウドは数少ないわが国原産の野菜のひとつで、古代から自生のものが利用されてきた。
 記録によれば、この地で栽培されるようになったのは、江戸時代後期の天保年間(1830〜1844)とされている。元来、強健で適応性の広いウドは、武蔵野にもよく適し、特に冬から春にかけて野菜が不足していたことから、この時期に生産されたウドは独特の風味と歯ざわりで、江戸庶民に歓迎された。
 明治、大正、昭和と栽培が盛んになり、吉祥寺ウドとして広く知られた。しかし、その陰には篤農家による創意と努力により、他に例を見ない純白に育てる「穴蔵軟化法」塔、技術開発のたゆまぬ研究があった。
 都市化により栽培面積は減少してきたが、特産吉祥寺ウドは、その後「東京うど」として全国に知られるようになった。(東京むさしの協同組合)