寺社巡り


西光寺

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西光寺

天台宗長谷山西光寺
 京王線西調布駅から旧甲州街道に出てすぐ左にある。山門前左側に常夜燈とその横に近藤勇の坐像がある。山門を入って左に石地蔵が、山門奥の建物が調布で一番古い仁王門、さらにその奥に観音堂がある。市重宝の観音三十三身像、大日如来像等が安置されている。

本では調布七福神の内、大黒天が祀られているとされるが未確認。由来等は未調査。

近藤勇の坐像常夜燈

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常夜燈と近藤勇の坐像
 慶応四年(1868)、新撰組隊長近藤勇は鳥羽伏見の戦いに破れたあと江戸に戻り、甲陽鎮撫隊を編成し、甲州街道を甲府に向けて出陣した。途中、故郷である上石原で遥か氏神様の上石原若宮八幡宮に向かって戦勝を祈願し、西光寺境内で休息した。
調布市「近藤勇と新撰組の会」は没後130年を記念して、甲陽鎮撫隊所縁の地西光寺に坐像を建立した。奇しくも、近藤勇の坐像の左横には、甲陽鎮撫隊を見送った、宿場内の人々の安全を願って秋葉権現を祀る常夜燈が、右横には西郷隆盛が明治政府に反抗して起こした西南戦争に従軍した地元出身の人々の招魂碑が建立されている。(調布市教育委員会説明板より一部抜粋)

仁王門

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仁王門
 調布市内に残る唯一の仁王門で、年代も18世紀初頭と特定できる貴重な建物である。正面両脇間に仁王像を安置し、楼上に銅鐘を釣るので、仁王門でもあり鐘楼門ともいう。寺の記録によると、西光寺中興の大僧都弁雄が宝永年間(1704〜10)に建てたと記されており、釣鐘にも弁雄の名前が銘記されており、この時の再建であることが明らかである。(調布市教育委員会説明板より)

観音三十三身像

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観音三十三身像
 観音三十三身像は、観音経に説かれる諸々のくのうから一切衆生を救済する応現身としての観音である。材質・構造は木造・寄木造、玉眼、仕上は彩色、像は34.3cm〜40.7cm。寺が再度火災にあったため、破損ははなはだしかったが、檀信徒の手により近年修理が行われ、現在観音堂に安置されている。
 観音三十三身像で、三十三体揃ったものとしては他にあまり例がない。像内に納められていた墨書紙と台座裏墨書銘によると、製作は元禄十一年(1698)寄進者は長谷川五兵衛尉藤原正明、製作者は大仏師豊前 金蔵初五郎とある。江戸の彫刻中でも最高級の彫技が見られる点で、注目に値する群像である。
佛身、辟支佛身、聲聞身、梵王身、帝釈身、自在天身、大自在天身、天大将軍身、毘沙門身、小王身、長者身、居士身、宰官身、婆羅門身、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷身、長者婦女身、居士婦女身、宰官婦女身、毘沙門婦女身、童男身、童女身、天身、龍身、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩喉羅迦、執金剛神(ア)、執金剛神(ウン)(調布市教育委員会説明板より)
 
大日如来坐像

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大日如来坐像と像内納入品
 法界定印を結ぶ胎蔵界の大日如来坐像である。材質・構造は木造・寄木造、仕上は漆箔、像は26cm。寄進文書(縦9cm横36.5cm)附毛髪。
この大日如来坐像の像内には、万治三年(1660)に女性たちが、特定の月齢の夜に飲食をしながら月の出を待って月を拝む行事である月待講の掛銭で本像を造ったことが記された文書が納められている。
本像内には、この他、追善逆修祈願文書一枚(縦24cm横5cm)が寄進文書とともに納めれている。(調布市教育委員会説明板より)