寺社関連の豆知識


仏弟子

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仏弟子

 ブッダ(釈迦)には生涯八万四千人の弟子がいたといわれ、特に優れた弟子を十大弟子といい、それぞれに優れた徳智を持っている。そのほかブッダの弟子としては、十六羅漢五百羅漢等がある。
 ブッダの前身はインド北部の釈迦族のカピラ城の王子ゴータマ・シッダールタで、王位継承権を捨てて出家した。出家後、悟りを開く前に三人の修行者、三人のバラモンの指導者(三迦葉)に出会う。

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三人の修行者

バガワ仙人
 ゴータマ・シッダールタが、母の故郷ラーマ・グラーダ村の近く髪を落として比丘の姿になって最初に訪れたのがバガワ仙人である。 バガワ仙人のもとで修行する者は、ただひたすらは苦行、苦行であった。なぜ苦行するのかとの問いに、バガワ仙人は「天に生まれんがため」と応じた。ゴータマ・シッダールタは、苦は苦を生むだけで、天に生まれずはずがないと思い、バガワ仙人のもとを離れた。
アーラーラ・カーラーマ仙人
 バガワ仙人の勧めでアーラーラ・カーラーマ仙人に会うが、アーラーラ・カーラーマ仙人は理屈をこねますだけだった。
ウドラカ・ラーマプトラ仙人
 次ぎ会ったのがウドラカ・ラーマプトラ仙人だが、やはり納得する教えではなかった。

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迦葉
 修行に入る前に三人のバラモンの指導者に会うがゴータマ・シッダールタを納得させることができなっかた。
 その三人とは、ウルビラ・カーシャバ(優楼頻羅迦葉)、ナディー・カーシャバ(那提迦葉)、ガーヤ・カーシャバ(伽耶迦葉)の三迦葉である。
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比丘

 ゴータマ・シッダールタは、自分で工夫するしかないと苦行林に入った。心配した父王シュッドダーナは、ゴータマ・シッダールタの周囲警護に五人の強者を派遣した。五人は比丘の姿になって苦行林に入った。後に、この五人の比丘がブッダ教団の最初の弟子となる。この五人の名前は、カウジンヤ、バドリカ、ワシュパ、マハーナーマン、アシュワジットである。
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十大弟子

 ブッダの主な十人の高僧を十大弟子と呼び、それぞれに優れた徳智を持っている。

摩訶迦葉 Mahakasyapa(マハーカッサバ) 頭陀第一
 大迦葉ともいい、バラモンの家に生まれ、結婚後に妻とともにブッダの教団に入る。よく苦行に堪(た)えることができるので、頭陀(托鉢行)第一と称せられた。
 厳格な性格で、心やさしい阿難と対比される。中国のブッダの像では向かって右側に摩訶迦葉の立像が多く見られる。
 禅宗の公案にある話として、ある日ブッダが大衆の面前に現れ、無言のまま一本の花を差し出したが、大衆はその意がわからず、何の反応も示さなかったが、ただ摩訶迦葉だけが微笑して応じたので、ブッダは自分の正法を嗣ぐ後継者に摩訶迦葉を選んだという。
 ブッダの入滅後の教団を率いて、教えを編集するため、全国から五百人の仏弟子(五百羅漢)を集めて第一次結集を行ったことで知られる。
阿難陀 Ananda(アーナンダ) 多聞第一
 阿難ともいう。ブッダの従弟で、ブッダの側に入滅するまでの二十五年間随侍した。阿難の兄がブッダを迫害し、最後に地獄に落ちて死んだといわれる提婆達多である。阿難はブッダのそばに常にいたことからブッダの説法を多く聞き、多聞第一と称された。
 中国の仏像では、ブッダの向かって右に随侍する立像が造像される。美僧ともいわれ女性ファンが多かったといわれる。
舎利弗 Sariputra(サーリプッタ) 智恵第一
 舎利子ともいい、バラモン出身で、ブッダがとくに信頼をよせたことで知られる。「般若心経」で仏の説法の相手となり、智慧猛利にして諸疑を決了するので智恵第一と称された。ブッダより先に入滅した。
目連 Mahamaudgayana(マハーモッグラーナ) 神通第一
 摩訶目  連の略称で、バラモンの出身で、サンジャヤ師のもとで修行していたが舎利弗ととにブッダ教団に入った。神足軽く、よく諸方に飛到着するので神通第一と称されブッダの信頼も厚かった。
 ブッダ入滅前に托鉢中に危害を加えられ亡くなっている。また、目連が地獄道に落ちた母を救うために行った供養が盂蘭盆会の起源だといわれる。
阿那律 Aniruddha(アニルッダ) 天眼第一
 ブッダの説法中に居眠りして叱られ、それから眠らぬ誓いを立てたため視力を失った。しかしかえって真理を見る目(天眼)を得て、十方世界をよく見るので天眼第一と称された高弟である。失明後は山中に一人で住んだといわれる。
須菩提 Subhuti(スブーティ) 解空第一
 祇園精舎でブッダのもとで修行に入る。空を説く大乗経典にしばしば登場し、よく空の義を分別できることから解空第一と称される。バラモンの家の出身、あるいは祇園精舎をブッダに寄進したスダッタの弟スマナの子ともいわれる。
富楼那弥多羅尼子 Purnamaitrayaniputra(プルーナマイトラーヤニープトラ) 説法第一
 富楼那ともいい、ブッダの故郷のカピラ城の近くで生まれ、母は、ブッダの説法を聞き、はじめて悟りを開いた女性といわれるコンディンニャーの妹といわれる。富楼那はわかりやすく、道理に通じていて、説法第一といわれた。
優波離 Upari(ウパーリ) 持律第一
 もと理髪師で、戒律に厳しく、また精通した高弟で、持律第一といわれる。第一回目の経典編集の際に、戒律(律蔵という)の編集責任者として多くの僧から推薦されたという。
摩訶迦旃延 Mahakatyayana(マーハーカッチャーナ) 論議第一
 ブッダ入滅後の紀元前後活躍した僧で、バラモンの出身である。ブッダの教えをわかりやすく説いたことで知られる。辺地では五人の師しかいなくても授戒することを許され、よく法相を分別し、論議に巧みであったので、論議第一と称せられた。
 部派仏教の一つの派である説一切有部の学者として活躍し「阿毘達磨発智論」ニ十巻をまとめあげた。
羅  羅 Rahula(ラフーラ) 密行第一
 羅云とも書く。出家前、ブッダと妻ヤショーダラーとの間に生まれた子である。若くして出家し最初の沙弥(しゃみ)(少年僧)である。初めは口が軽く、ブッダの弟子や信者をからかうのでブッダに厳しくたしなめられた後、自らの非に気づき、以降は決しておごることなく修行に専念し、戒を守り、よく読誦し怠ることがなかったので、密行第一と称された。迦葉とともに十六羅漢に加えられている。

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十六羅漢
 羅漢はサンスクリットのアラハンの音写で、正しくは阿羅漢である。アラハンは「応供」と漢訳され、「尊敬や施しを受ける価値のある人」という意味である。
 初期仏教での羅漢は、悟りを得た修行者を指し、もうこれ以上修行することがない人格者ということからブッダやブッダの高弟をそう呼んだ。
 のちに起こった大乗仏教では、仏・菩薩にとどく寸前の境地の修行者を指すようになった。すなわち、「凡夫」がよりベターに生きようとしたのが「声聞」で、さらに上のランクが「辟支仏」、その上が「菩薩」となるが、「辟支仏」が「菩薩」にとどく寸前の修行者を「羅漢」という。
 ブッダ入滅後、仏法を護持し仏教徒を保護する役目を与えられた十六人の弟子を十六羅漢という。十六羅漢は中国で成立で、日本に将来したのは東大寺の  然といわれる。
十六羅漢の名前は、
第一尊者賓度羅跋羅堕闍(ビンローラ・バラドヴァージャ)
第ニ尊者迦諾迦伐蹉(カナカヴァツツァ)
第三尊者迦諾迦跋釐堕闍(カナカ・バーラドヴァージャ)
第四尊者蘇頻陀(スビンダ)
第五尊者諾矩羅(ナクラ)
第六尊者跋陀羅(バドラ)
第七尊者迦理迦カーリカ
第八尊者伐闍羅弗多羅(ヴァジラプトラ)
第九尊者戌博迦(ジ-ヴァカ)
第十尊者半  迦(バンタカ)
第十一尊者羅怙羅(ラーフラ)
第十ニ尊者那伽犀那(ナーガセーナ)
第十三尊者因揚陀(アンガジャ)
第十四尊者伐那婆斯(ヴァナヴァーシン)
第十五尊者阿氏多(アジタ)
第十六尊者注茶半  迦(チューダバンタカ)
である。これに「大阿羅漢難密提密多羅所説法住記」を著した慶友尊者と賓頭廬尊者を加えると十八羅漢になる。
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五百羅漢

ブッダの入滅後、ブッダの後を継承した高弟・摩訶迦葉は第一回の結集を企画し、五百人の阿羅漢を王舎城に集めた。ブッダの高弟である阿難は、この時摩訶迦葉によって除外され、王舎城を追い出されたため、阿難は必死に修行し、悟りを得、摩訶迦葉に許されて、王舎城にはいり経典編集のリーダーになったと伝えられる。(新星出版社「やさしい仏像入門」松原哲明・三木童心著および東京美術社「目で見る仏像」田中義恭・星山晋也著より)


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仏弟子案内

 散歩道で紹介している中で、仏弟子像や羅漢が祀られている寺院等は未調査である。











かしょう
ぴく
うるびらかしょう
なでいかしょう
かやかしょう
まかかしょう
ずだ
たくはつ
あなん
けつじゅう
あなんだ
だいばだった
しゃりほつ
はんにゃしんぎょう
もくれん
まかもくけんれん
うらぼんえ
あなりつ
てんがん
しゅぼだい
げくう
ぎおんしょうじゃ
ふるなみたらにこ
ふるな
うばーり
じりつ
まかかせんねん
ふんべつ
せついっさいうぶ
あびだるまほっちろん
らごら
どくじゅ
じゅうろくらかん
あらは
しょうもん
びゃくしぶつ
ちょうねん
びんどらばらだじゃ
かなかばっさ
かなかばっりだじゃ
そびんだ
なくら
ばつだら
かりか
ばしゃらほったら
じゅはくか
はんたか
らごら
なかさいな
いんかだ
ばなばし
あした
ちゅうだはんたか
けいゆう
びんずる