寺社関連の豆知識


七福神(吉祥天)

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七福神(吉祥天)

 吉祥天は福徳の神であり、七福神の一つに数えられていた時期もあった。吉祥天の信仰は七世紀ころには日本に伝来し、女神としては弁才天よりも人気を集めていたが、その後、弁才天の人気があがり、弁才天に七福神の座をとられた。

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インドでの吉祥天
 吉祥天は、インドからきた神である。ヒンドゥー教ではラクシュミー(またはユリー)といい、富、幸福、豊穣の女神だった。サンスクリット語でシュリーマハーデーヴィーといい、これが大吉祥天女と訳され、さらに略して吉祥天と呼ばれた。また、功徳天と訳される場合もある。

  ラクシュミーはヴィシュヌの后とされ「大海から生まれたもの」という異名がある。これは、諸神の乳海攪拌というヒンドゥー教の神話からきている。
 神々は、不死の霊液アムリタを手に入れるため、ヴィシュヌに相談した。するとヴィシュヌは、マンダラ山を引き抜いて、それを攪拌棒として大海をかきまぜるように指示した。神々はふだん敵対するアスラ(阿修羅)たちとも協力し、いわれた通りに実行すると、大海はミルクのようになり、その中からさまざまなものがあらわれてきた。その一つがラクシュミーである。神々もアスラも、その美しさに見とれ、ラクシュミーを手に入れようとするが、ラクシュミーはヴィシュヌを夫に選んだ。
 インドではラクシュミーの姿は、蓮華の上に立ち、左右二頭の像が注ぐ水を頭に受けているように描かれている。これは、ラクシュミーが出現したとき、天の像が清浄な水を金の瓶にくんで、彼女に浴びせたという、さきの乳海攪拌の神話による。

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日本での吉祥天

 日本では、中国風の貴婦人に描かれ場合が多く、優雅な衣装に冠、左手に宝珠を持っているのが一般的な像である。また、仏教では毘沙門天の妃とされているため、毘沙門天の脇に置かれていることもある。
 日本に伝来した吉祥天は福徳の神として篤く信仰された。平安時代には、吉祥悔過という国家的な法要が天皇の命によって行われた。これは吉祥天を本像として、「金光明最勝王経」という密教のお経を読み、罪を懺悔するとともに、五穀豊穣を祈願するものである。
 このお経によると、吉祥天はさまざまな善行をし、功徳をつんだ天女である。この天女の名前をとなえると、五穀豊穣、財産も豊かになるという御利益がある、と説いている。

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吉祥天にまつわる説話

 平安時代の仏教説話集「日本霊異記」には、吉祥天にかかわるかなり生々しい物語がでてくる。 信濃の国のある僧が、山寺に祀られている吉祥天に人目惚れし、なんとか自分にも天女のような女性が授かれないものかと祈る。するとある夜、吉祥天の像とまじわる夢をみてしまう。翌朝、吉祥天の像を見ると、その腰あたりに精液らしきものがしみていたという。
 坊さんが天女と夢でセックスをするという筋書きは、江戸時代になると弁才天にもあてはめられるようになる。そこでは、交わったことを人に話すなよ、と天女に釘をさされたにもかかわらず、坊さんはうっかり他人にさとられてしまう。腹を立てた天女は、坊さんに水をかけ、その水で坊さんは悪い病気にかかってしまう、という筋書きである。
 ここでは、吉祥天が弁才天に変わっているが、実際、この両者が混同され、同一視されることもしばしばあったようだ。しかし、個々の人気からいうと、弁才天に軍配があがり、七福神のメンバーとしての地位は不動のものになってしまった。いわば吉祥天は影の七福神だったといえる。(小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」東京散歩倶楽部編著から転載)

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吉祥天案内

 散歩道で紹介している中で吉祥天が祀られているのは次の寺社である。

タイトル寺社名等写真備考
寺社巡り井口院無し境内にある七福神堂内










にゅうかいかくはん
きっしょうけか