野川を歩く


幡隋院
幡隋院庭
幡隋院庭

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幡隋院

浄土宗
 旧小金井街道を南に坂道を下り、薬師道を西に入った所に、講談や芝居でおなじみの町奴、幡隋院長兵衛と因縁深いお寺の幡隋院がある。
 幡隋院は、慶長十五年(1610)京都・知恩院の末寺として神田駿河台に建立された。その後、幕府の命令で当時、江戸の郊外であった浅草に移されたが、明暦三年(1657)の「ふりそで火事」、大正の関東大震災、昭和六年の失火など前後四回の火事で都会暮らしから逃れて昭和14年にこの地に移転した。
 いつも門が閉ざされており一般公開されていないが、うっそうと木立が茂る段丘の自然を巧みに生かし、京都・修学院離宮の庭を模したといわれる約三千平方米の芝生庭園がある。
 この庭園を見下ろす段丘の上には、当時の寺院建築の粋を集めて建立した阿弥陀堂、開山堂がある。また、境内には松露庵、雨花亭、洗心亭などの茶室がある。この記事の出典である昭和44年版の朝日新聞社「新訂武蔵野風土記」では毎月茶会、春秋に野点、さらに陶芸教室が開かれていると書かれているが現在も行われているのだろうか。
 写真上は門
 写真中下は門内の入り口辺から庭園を望む

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長兵衛との関係
 長兵衛は浅草花川戸で人夫口入業者として顔役になる前の若い頃、殺人の罪で処刑されるところを、幡隋院のお坊さんが助けたことから関係が生まれたという。長兵衛が力をつけるようになって、いつとはなしに「幡隋院長兵衛」と呼ばれるようになった。但し、度重なる火事で古文献は焼け、代々の住職の口伝のみで裏付ける資料はない。