野川を歩く


上宮大澤神社

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上宮大澤神社

 新小金井街道の野川の橋から南に行った先の左脇道奥にある。空き地の左手に稲荷社の赤い幟が立っているが右手奥の崖下に祠がある。位置的に下弁財天と背中合わせのようだが直接の道はない。両社の由緒の内容は相違しているが、とも大澤氏に関係する神社であり、大澤の池と下弁財天の池も同一だと思われる。

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上宮大澤神社由緒
創建:平安時代 天慶年間(938〜947)
祭神:天児屋根命、藤御食子命(中臣氏)、藤宇合命(藤原式家)、藤百川命、平高望命、平頼望命、藤壽治命
神徳:国土安泰、産業繁栄、家内安全、出世開運、子孫繁栄、災難厄除け、交通安全、学問成就

  天児屋根命は、高天原で祭祀を司る興台産霊神の子で、天照大神の侍臣として仕えていた神様である。天照大神が天の岩戸に隠れた時、その能筆と類まれな朗々たる美声をもって祝詞を奏する役割を受け持った。
 のちに天孫邇邇芸命の降臨に従い高千穂の嶺に天降り、常に国政に参与し、国土経営に貢献した神様である。中臣氏=藤原氏の太祖神であり、枚岡神社(大阪)、春日大社(奈良)、鹿島神宮(茨城)、香取神宮(千葉)、大野原神社(京都)、御岳神社(東京都)などに祀りされている。
 当神社は、藤原鎌足の子孫、藤原百川卿の嗣子、藤原外記壽治の創建による。庚子の季、大参議忠文卿のもと利基朝臣の命により、補祐筆として東征軍に加わり、下野国関宿より真満、茂原を経て、遂に牟差(武蔵)国、大澤の池の上に到り、山紫水明のとても良い処であったので、太祖神をお祀りして、大澤氏を名乗り定住したと伝えられている。(由緒による)
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歴史背景

 祭神の天児屋根命は中臣氏=藤原氏の太祖神であり、御食子は藤原鎌足の父、宇合は聖武天皇時代の藤原氏隆盛時の四兄弟の一人で式家の祖、百川は宇合の子で奈良時代末期の権力者である。
 平高望は桓武天皇の曽孫で平性を賜わった。高望王の孫が「承平・天慶の乱」の平将門である。
 大参議忠文卿とは、平将門の乱鎮圧の征夷大将軍藤原忠文である。社の創建が天慶年間なので丁度この時になる。
 平頼望は高望王と関係ある名前であるが系図にない。(良望だと高望王の子で将門との争いの発端の平国香である)藤原外記壽治は百川卿の嗣子とあるが時代が合わないし、系図にも見当たらない。祖先神として藤原氏と平氏が祀られているのは何を示しているのだろうか。



かみみやおおさわじんじゃ
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こことむすびのかみ
あめてらすおおみかみ
てんそんににぎのみこと
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かのえねのとし
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うまかい