野川を歩く


金井原古戦場跡の碑

マップ戻る
金井原古戦場跡の碑

 小金井街道を南に下ると、霊園通りとの三叉路にぶつかる。その三角の突端にたたずむのが金井原古戦場跡の碑である。
 南北朝時代の正平七年(1352)、南朝方新田義貞の子義宗、義興と北朝方足利尊氏が金井原(現在前原町南部)から人見原(現在府中市)にかけて戦が繰り広げられた。

 かって、前原三丁目辺りの神明宮・光明院(現在はない)近辺に首塚、胴塚があったといわれるが、現在は住宅地になっており何の形跡もない。

マップ戻る
歴史背景
 後醍醐天皇の崩御後の室町幕府初期、足利尊氏と弟直義の対立から正平七年二月に尊氏は鎌倉で直義を誅殺した。
 この混乱に乗じて新田義貞の遺児、二男義宗、三男義興が上野で旗挙げし、一時は鎌倉を占拠したが、三月には尊氏勢に取り返され、翌年正平八年夏まで相模足柄郡河村城に拠って尊氏軍と対峙した。
 金井原の戦はこの時、新田軍が鎌倉へ入る時の戦いである。なお、新田義興は鎌倉に潜入しようとした延文三年(1358)十月十日多摩川の矢口渡しで謀殺されている。