野川を歩く


金蔵院

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金蔵院

名 称:天神山金蔵院観音寺
宗 派:真言宗豊山派
本 山:長谷寺(奈良県桜井市)
宗 祖:弘法太師空海上人(774〜835)
中興祖:興教太師覚鑁上人(1095〜1143)
派 祖:専誉僧正(1530〜1604)

 天保元年幕府に献上された「新撰武蔵風土記稿」によると「領地四石、下山野ニアリ天神山観音寺ト号ス、新義真言宗府中妙光院ノ末寺、本堂昔年焼失シテイマダ再建セズ、本尊十一面観音木ノ座像長一尺余開山詳ナラズ、中興ハ阿闍梨尭存永禄九年(1566)八月一日遷化」とあり、当寺は真言宗豊山派府中市妙光院末二十八ヶ寺の一寺で、小金井村の鎮守天満宮(現小金井神社)の別当寺だった。当時から檀家は地域的にの上・下小金井村と小金井新田にまで広い範囲に分布している。

本堂

 本堂は享和三年(1803)に火災に遭ってから十六年後の文政二年(1898)に再建され、その後大正十一年(1922)に破風造りの屋根に直し、さらに平成二年十一月に改築建立された。
 村民に親しまれた観音様であったことを物語るように、明治初期に第一小学校の前身である寺子屋(尚絅学舎)が設けられ、大正時代には村役場が併設されていた。
 戦後、境内に白萩を多く植えたので、初秋になる

と小さな白い花で一杯になり、誰言うとなく「萩寺」といわれ親しまれている。また南側の開星稲荷神社のある場所に市指定の天然記念物として樹齢三百年を超すムクとケヤキの大木がある。(由来書より)
 本尊は十一面観音だが、本堂の左にある薬師堂には、中世(鎌倉から桃山)期のものと思われる薬師如来像があり、往時は除病安楽を願う近在の人たちにより、縁日(毎月八日)などは盛んな人手があったという。 (小学館「東京近郊・ご利益散歩ガイド」より)

薬師堂

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薬師様と薬師堂

 薬師様は左手に薬壷を持ち、その中に十二の願いを込めている。その一つに除病安楽というのがあり、名前を唱えると病が除かれ身心を安楽にして下さる仏様である。息災離苦、荘具豊満など人々の現代未来に至るまで親しみ深く導いてくださる仏様として古来より厚く信仰されている。

 当山の薬師様は中世(鎌倉時代より桃山時代)に造られたようだが、制作は年不詳である。また、火災に遭った跡もあるが立派に補修されている。仏像全体は落ち着いた姿で、村内の信仰を集め、縁日(毎月八日)にはかなりの人出があったという。
 お堂は天保十三年三月、星野治ヱ門の母、きちが願主となり、村内の念仏講の喜捨によって建立された。昭和54年、傷みが激しくなったため、第26世住職隆照が役員一同とはかり再建を目処に取り壊した。弘法太師空海上人が高野山で入定なられて1150年の記念すべき勝縁に恵まれ、ご遠忌の記念事業の一環として建立され、昭和58年10月17日に落慶式を迎え現在に至っている。(説明板より)写真は、白い花が咲く萩の奥に薬師堂の屋根が見える。



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