野川を歩く


国分寺楼門
薬師堂への石段
国分寺マップ

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国分寺

真言宗医王山最勝院国分寺
ご利益:病気平癒他
 お鷹の道の東端、武蔵国分僧寺跡の北側、国分寺崖線南縁にある。
 楼門は明治28年、東久留米の米津寺から移築いた江戸期の作である。
 境内に先代の住職が万葉集に登場する植物を集めた「万葉植物園」(入園無料)があり、植物ごとに例歌を記した案内板がある。
 門(楼門でない)を入って右手の平屋の建物が文化財保存館(入館無料)で、同市で発掘された石器や縄文土器など、約600点ほどの展示と平安時代前期頃の武蔵国分寺の復元模型が展示されている。
 本堂前の門を出て東に進むと石段があり、中腹に仁王門、さらに石段をあがれば薬師堂がある。もとは新田義貞の寄進によるが、現在の建物は宝暦年間(1751ー63)の再建である。
 薬師堂には国の重要文化財の薬師如来坐像が鎮座している。江戸の頃は浅草や愛宕山などで出開帳が行われた記録がある。
 写真上は手前に楼門、奥に本堂がある。
写真中は薬師堂への石段、坂の奥には八幡神社への石段がある。
 下の地図はお鷹の道で提示している地図と同じ。

国分寺楼門

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楼 門
 建物は間口三間(約6.4m)奥行二間(約3.6m)の楼門造り、板金葺で、江戸時代の建築様式をよく留めている。
 この門は、米津出羽守田盛(通称内蔵助)の元菩提寺として建立された米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したものである。

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米津出羽守
 出身地は三河国碧海郡米津村で出羽守田盛の時に久留米村前沢を知行地とする。石高は一万五千石、大阪定番を勤める。(国分寺市教育委員会・案内板より)

国分寺仁王門

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仁王門
 この門は、宝暦年間(1751〜1763)に建立された間口五間(約9.0m)、奥行二間(約3.6m)の入母屋造八脚門である。
 使用されている建築材は、「新編武蔵風土記稿」の仁王門の条に、「この門近世までの薬師堂なりしを再興の時きりちぢめて仁王門にせり」とあるように、建武二年(1335)に建立された旧薬師堂(これは、江戸時代初め頃の「国分寺村古絵図」によると僧寺の金堂跡付近にあった)に使用されていたもの

を再利用したと伝えられるが、杉材の柱などに残る組み立て用の穴の彫り方からもこのことがうかがえる。
 左右には、享保三年(1718)造立された、阿・吽ニ体の仁王像(高さ2.5m)が安置されている。作者は不明。(国分寺市教育委員会・案内板より)

国分寺薬師堂
薬師如来坐像

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薬師堂と薬師如来坐像
 薬師堂に安置されている国指定重要文化財の木造薬師如来坐像は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期の製作と考えられ、作者は不明である。
 寄木造漆箔仕上で、像高は約191.5cm、蓮華座に坐し、印相は右手が施無畏印、左手に薬壷を持っている。台座および光背は後代の補作と思われる。
 薬師如来は、日光月光の両菩薩を脇侍とし、眷属として十二神将を従えているが、当国分寺の十二神将は、頭部の墨書から元禄二年(1689)の作であることがわかっている。
 薬師堂は、建武二年(1335)に新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられているもので、その後、享保元年(1716)に修復されたが、宝暦年間(1751〜1763)に現在地で再建されたものである。
 堂内の長押には、明和元年(1764)に奉献された

深見玄岱の筆になる「金光明四天王護国之寺」の寺額がかけられているが、この寺額は東大寺の西大門の勅額を模したものである。(国分寺市教育委員会・案内板より)
 薬師如来坐像は10月10日に一般公開されtいる。写真は保存館に掲示されている写真を撮ったものであり、フラッシュの光が白く反射している。

万葉植物園

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万葉植物園
 史跡武蔵国分寺跡(国指定)を訪れる人に、この寺が創建されたころに編纂された「万葉集」より、当時の歌人達が好んで歌の題材とした植物を集め、当時の生活や、文化、思想を知る一助にと、元国分寺市長であった住職の星野亮勝氏が昭和25年に計画し、昭和38年まで、13年かかって採集したものである。
 仕事のかたわら、同市内や八王子、五日市町、御

岳山、高尾山、多摩丘陵、青梅、狭山、埼玉県武蔵町、奈良などへ出向いて集めたものである。
 武蔵野の代表花「むらさき」を歌った歌
 託馬野に生うる紫草に染め いまだも着ずて色に出にけり 笠の女郎の大伴の家持に贈れる
 秋の野のみ草刈り葺きやどれりし 宇治の宮処假庵し思ゆ 額田王
に歌われるみ草(別名すすき、かや)など163種の植物が集められているが、これらは当地で栽植可能な限りの万葉植物を集めている。各万葉植物ごとに植物名、万葉例歌と作者、繁殖地が書かれた標識が立っている。また、万葉植物には異説が多いので、異説のある植物はつとめて同じ場所に植えてある。広さは約8000uで万葉植物は一括して市の天然記念物に指定されている。
 造園には、東大名誉教授本田正次、ハス博士故大賀一郎氏などの協力を仰いだという。関係者も「都内でこれだけ万葉植物を集めているのも珍しい」と言っている。花の見ごろは4、5月頃である。(国分寺市教育委員会・案内板および朝日新聞社編「改定武蔵野風土記」より)

復元模型

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武蔵国分寺の復元模型
 創建からおよそ100年を経た平安時代前期における最も整備された国分寺の様子が復元されている。七重塔の再建、僧寺講堂の増築、北方建物の新築、付属諸院の整備が行われたのがこの頃と考えられる。
 幅12mの南北道路の東に僧寺、西に尼寺がおかれた。僧寺の寺域は南辺約356m、東辺約428mの台形状で、諸国に比べほぼ3倍の規模である。

広大な寺域の中に、一般に七堂伽藍と呼ばれる主要建物が計画的に配置され、鎮護国家のための宗教活動が行われていた。尼寺の寺域は一辺約160m四方で、一般的な規模である。
 僧寺寺域の外側には、古寺域区詔勅を利用した寺地と仮称する範囲があって付属施設がおかれていた。これらを合わせると、東西約900m、南北550mの矩形の内におさまることになる。
 また遺跡は、国分寺と周囲の住家から成り立っているが、住居群の広がりは僧寺金堂を中心に東西2km、南北 kmに及んでいる。(八幡神社の土師竪穴住居跡を参照)
 瓦葺き主要建物のペーパークラフト模型は東恋ケ窪にお住まいの田中良人さんが調査平面図をもとに長期間かけて製作したもので、市に寄付していただいたものである。
 全域の3%の調査データに基づき大幅な推定を加え復元したものであり、修正を要することは言うまでもない。なお、国分寺崖線を強調するために、地形模型にかぎり垂直縮尺を150分の1にしてある。(国分寺市教育委員会・案内板より)



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