野川を歩く


貫井神社

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貫井神社

祭神:市杵嶋姫命大己貴命
雨乞い・学芸成就・商売繁盛他
 新小金井街道を横切り野川を西へ向かうと右手に貫井神社が見える。かっては貫井弁財天と呼ばれ、水道のない時代には、学校のプールにも使われたほどの湧き水を擁していた。社殿の左には、今もこんこんと湧く御神水が池に注いでいる。

 創建は天正十八年(1590)この湧水の出る景勝の当地に水の神である水神様を貫井弁財天と称し、氏神さまとして祀った。(創建は下弁財天より15年ほど古い)明治維新の神仏分離令例祭により、明治八年(1875)厳島神社と改称、更に貫井村字一ノ久保鎮座の貫井神社を合祀、以降村社貫井神社と称した。
 本殿は宝永六年(1709)に改築し立派な彫刻を施した文化財として価値あったが昭和六十年(1985)火災で焼失、翌年十二月に総桧材流造の本殿の復元と併せて渡廊・玉垣。神橋も復元竣工した。(由緒碑による)

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貫井遺跡
 貫井神社の崖上の武蔵野段丘上に、市立第四小学校校庭を中心に広がり、崖線(はけ)下の湧水を立地条件とした集落跡の貫井遺跡がある。
 昭和十四年(1939)からこれまで二十数回におよぶ発掘調査が行われ、縄文時代中期の中頃から末期(約四千五百年〜四千年前)の住居跡約五十軒のほか、墓や貯蔵用の穴がまとまって発見されている。この集落は墓穴などが密集する中央広場を取り囲むように住居跡が巡っており、縄文時代中期によく見られる環状集落と考えられる。
 出土品には多数の縄文土器や石器、土偶大珠と呼ばれる貴重な石製の胸飾り等がある。
 また、旧石器時代(約三万〜一万二千年前)の石器や縄文時代早期前半(約九千年前)・後期前半(約四千年〜三千五百年前)の遺物も出土している。(小金井市教育委員会案内板より)

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