野川を歩く


滄浪泉園
泉園案内

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滄浪泉園

 野川から新小金井街道を北に坂道を登って蓮雀通りを小金井駅方向に行った左路地を入った所に入り口がある。
 門を入って少し行くと視界が開けた芝生園にでる。坂道を下って崖下に出るとこんもり繁った木々の間から泉が現れる。周りの住宅地や交通混雑する道路の近くに、まるで深山に迷い込んだような気持ちにさせられるほど静かな空間である。
 明治・大正期に三井銀行などの役員、外交官、衆議院議員などを歴任、活躍した波多野承五郎(雅号・古渓)が、大正の初め頃、慶長年間(1610年ころ)に建てられた、今の日野市近郊の大名主の家(約330u)を移築して別邸とした。武蔵野の特長的な地形である「はけ」と湧水を巧みに取り入れた庭園は33,000uあった。

 名前の由来は、大正八年(1919)この庭に遊んだ犬養毅(雅号・木堂)元首相によって名付けられた「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の涌き出る泉のある庭」との深い意味を持っている。
 昭和になって元三井鉱山社長川島三郎氏の手に渡り、昭和五十年頃までヒサ未亡人によって守られていたが、33,000uあった庭も次々に銀行の寮や宅地に変わり半分に減った。
 昭和五十二年にマンション建設計画があり、東京都により緑地保全地区指定・買収され自然緑地として残された。当初は10、330uだったが、昭和60年に1000u、平成4年に402uが買い増された。残念ながら、武蔵野名主の典型といわれる母屋や長屋門などは買収前に取り壊されたため現存していない。(案内パンフレットおよび「改定武蔵野風土記」(昭和44年朝日新聞社編による)
入園料 :100円 開園時間:9:00〜17:00 休園:毎週火曜日・年末年始
庭園面積:11,732.57u  駐車場なし

おだんご地蔵鼻欠け地蔵
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おだんご地蔵(写真左)

 池の中島の路傍にお地蔵様が祀られている。素朴で柔和な顔立ちのこのお地蔵様は正徳三年(1713)念仏供養のために祀られたものだと云われる。
 足元にはエビネが自生し、五月頃には花のじゅうたんが敷き詰めふくいくとした香りを漂わせる。(案内板より)

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鼻欠け地蔵(写真右)
 池から戻る坂道の途中に祀られている。この石仏は寛文六年(1666)に庚申さまとして祀られたもので小金井市内では最も古い庚申塔である。(庚申塔としての形態が見られないが、小金井小次郎墓地の寛文六年庚申塔を参照)
 信仰のため何度も触られたためか、目や鼻が欠け落ち、昔の人々の信仰の深さが偲ばれる。背後の椿は樹齢百年を悠に越すと思われ、季節には真紅の花びらを散らせ、お地蔵様を飾る。(案内板より)
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滄浪泉園の自然
 滄浪泉園は、古代多摩川が次第に南西に移って行った途中で作った、最も古い段丘の一つに位置しており、この斜面は地形学上、国分寺崖線と呼ばれ、立川市の北東から世田谷区の野毛町まで続いている。崖下の砂礫層からは豊かな地下水が涌き出て、それを一般に「はけ」と呼ばれている。
 長い間人手が加えられていなかったため、今では崖上、斜面、低地、水辺とそれぞれに植物が棲み別けて安定した生態系を構成している。これらの植物は「はけ」の崩壊を防ぐとともに多くの生物の棲息を可能にしている。そして木の実や虫を求め、四季を通してたくさんの野鳥(コゲラ、アオゲラ、メジロ、キジバト、ウグイス、コジュケイ、カモ、カワセミなど)も集まってくる。
 また園内には、煙や大気汚染を嫌う杉、赤松(推定樹齢90〜120年)等が数多く残り、一部には関東ローム層(所謂赤土)の独特の風情である二段林の特徴も見られ、今ではこの近辺では見られなくなった、フデリンドウ、ニリンソウ、キンラン、ギンランなどの野草も数多く残っている。(案内パンフレット)(国分寺市の殿ヶ谷戸庭園も同様の庭園である)
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「はけ」の語源
 戦後、この「はけ」を舞台に小説「武蔵野婦人」を書いた大岡昇平氏は、そのプロローグで「はけとは”鼻”の訛りだとか、”端”の意味だとか言う人もあるが、どうやら”はけ”はすなわち”峡”にほかならず・・・・」と説明している。「改定武蔵野風土記」(昭和44年朝日新聞社編による)(参照・中村研一記念美術館
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はけうえ遺跡
 「はけ」沿いに昔から人々が生活しており、多くの古代遺跡が発掘調査されている。(参照・野川と古代遺跡)滄浪泉園の横を走る新小金井街道のところに「はけうえ遺跡」がある。
 武蔵野段丘上にあるこのはけうえ遺跡は、滄浪泉園の湧水地を中心としている。昭和52年から都道建設(新小金井街道)や宅地開発に伴って発掘調査が行われた。
 関東ローム層中から中石器時代(約一万二千〜三万年前)の異なった時期の生活面が重層的に発見され、多数の石器や礫群と呼ばれる石焼料理場の跡が出土した。
 また、縄文時代早期前半(約九千年前)の竪穴住居跡が17ヵ所発見され、この時期の集落(村)跡としては関東でも大規模なものの一つである。
 ほかには、縄文時代後期(約四千年前)の張り出し部のある柄鏡型住居跡が二ヶ所発見されている。(小金井教育委員会の案内板より)


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